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台風18号の大雨によって河川の堤防が何か所か決壊しました。

 

その中の一つの要因が河川の堤防としている個所に太陽光発電設置をするために土手を切り開いて低くした個所から水が流れ込んでいたのですね。

 

そのことが広まった時にそれ自身がデマであるとの情報が流れていたのです。

 

実際のところは、要因の一つであることが時間とともに明らかになってきています。

 

その点について考察しておきます。

 

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日本人の本質では?

これは、日本人の、特に権力者、既得権益者にとって都合の割ることに対して、日本全体として問題点に対して真摯に取り組まない姿勢が表れているのではないでしょうか。

 

何らかの事実に基づいて語られることを拒む人は絶対にいます。

 

むしろ、そういったことが明るみになってほしくないのです。

 

問題点が明確になると、その問題となった事業者が莫大な賠償金を払う必要が出てきます。

 

今回の場合、もし、太陽光の設置業者が土手を切り開きそこが河川の決壊原因だとすると、それを許可した行政も含め、設置業者も責任を問われます。

 

日本には、「怪しいものにふた」をして、無視する文化がありますよね。

 

無視して、風評にしてしまって、その風評を気にする人を徹底的に叩くんですね。

 

ここ5年間に圧倒的にたくさんのことが深刻な問題点であるのに風評にされてきました。

 

はっきり言ってこれが日本人の権力者、既得権者の本質であって、大多数の人がこれに従ってしまっているのでしょうね。

 

 

日本は内向きと外向きで違う外交?

日本企業も日本政府も日本のメディアも多くが日本国内向けと国外向けで全く異なる対応をします。

 

起業は、その文化に合わせて営業手段を変えなければビジネスが成り立たないので仕方ないかもしれませんが、日本政府と日本のメディアは、その発表する内容が異なってしまっては何をしているのかはわかりませんよね。

 

それが、実際に起こっています。

 

メディアの発表を日本語版と英語版で比較すると日本語版では曖昧に表現して、英語版では明確に述べるなんてことは普通です。

 

日本人があいまいな表現で何も情報が得られなくてもいいとするなら仕方ないですが、英語でその情報を確認すると、非常に深刻な状況であることが理解できることもあるんですよね。

 

そして、実際に海外向けの情報を理解している日本人は、ほとんどいなかったりしてその情報を知っていると、浦島太郎の逆の状態に陥ります。

 

情報化社会なので知ろうと思えばインターネットで色々な情報が手に入れられるため情報が分かりますが周りが全く何も知らない状況で、日本にいてカルチャーショックを受けることになります。

 

根本的な教育の問題?

情報を正確に伝える必要もなく、掴まなくてもよい、視野の狭い考え方をしてしまう国民性はどこから生まれてくるのでしょうね。

 

これを考えていくと、根本的な問題点は日本の義務行行くにあるのではないだろうか。

 

すべての人が、学校に通っていれば、留年することもなく進級して義務教育の期間を終えることができます。

 

競争もほとんどなく、与えられたことをこなさ無くても大丈夫な教育システムです。

 

その教育システムが、今の政治に無関心になりテレビなどのメディアの言っていることをそのまま鵜呑みにしてしまう日本人を大量に作り出してしまったのではないのか?

 

シリアでは、ISIL支配地域からの難民が多数出ています。

 

そうした人たちは、ISILのシリア国内での活動に将来を悲観し難民となっているのです。

 

多数の人たちが、普通の渡航するよりもたくさんのお金を払って渡航制限をかけられている中で難民になっているのです。

 

自分たちの判断で行動しています。そして、世界各国がそれを受け入れようとしているのです。

 

確かに日本の経済は大きく、発展途上国に比べれば平均の収入は大きいです。

 

しかし、自発的に物事を考え、行動することを一般的にしない人たちの集団で、周りから手を差し伸べてくれるのを待つ人々が多く感じますね。

 

シリア難民の行動力と日本人の行動力を比較しても、どちらが人としてしっかり物事を考えて行動しているか、どちらがより合理的な活動をしているのか、考えてしまいます。

 

そうした日本人の本質は日本の教育システム自体に問題があるような気がしれなりません。

 

だって、日本の義務教育は個性をなくし同じ程度の学力、人間を育てることを目標にしているからです。

 

グローバル社会において、どういう状態が好ましいかは明らかではないでしょうか。

 

 

まとめ

今回のインターネット上で広まる真実をデマとするデマ疑惑拡散や、これまでも、様々なことがデマと罵られて、後で真実であることが証明されてきました。

 

疑い深いことを議論せずに、つぶしてしまうこの日本の文化が、日本人の最もダメなところでしょう。

 

そして、多くの問題が、デマ拡散した後、因果関係が分からなくなったところで、問題が表面化してくるんですね。

 

今回のデマ拡散でも日本の嫌な一面が見えてきました。

 

この自分で判断できな国民性と、真実をデマとして扱うのは日本の文化と日本の教育制度の問題から来ている気がしてなりません。